禅語 退屈

あー、退屈やなあの退屈。これも禅語だったんですね。

 

「退く」「屈する」がなぜやることがなくて暇とか飽きてしまってやる気が起きないという意味で使われているのか?

 

そもそもは、仏教の修行に対してやる気がなくなってやらなくなるという意味らしいです。

 

つまり精進しないことをきめて退く、続けることに屈してやめてしまうと。さらに、諦めてしまって続けられない事に対する挫折感が本来の意味になるようです。

なんかわかるなあ。修行中のお坊さんとはいえ人間、いろいろと迷う事もあるんですね。そう考えると我々がいろんなことに迷うのも仕方ないことですね。

 

そこから退屈ということばが生まれて、我々も普通に生活のなかで使っているんですね。

 

自分の中に退屈に感じてしまうスペースが大きくなってしまっているということなんで、そういう時こそ体を動かしたり、行動を起こしていかないと退屈な気持ちに自分の中を埋め尽くされないようにしていきたいです。

 

退屈の反対は熱中。熱中するのは、そういったものが見つかるから熱中するのではなく、何かに集中して取組むからそういったものが見つかるということです。

やはり、心の前に体からということなのでしょう。

 

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