目的と手段は相反しない

ティク・ナット・ハンの般若心経

 

以前の記事でも書きました。手段と目的の話です。

 

ここでは平和に到る道を実現する手段としては、武力を使うのは相反しているという事でした。それでは本当の平和にはたどり着けないという事を書きました。

 

つまり平和への解決としての戦争というのはありえないという事です。

 

しかし世の中は平和を求める正義として武力を使うことを、問題ではないとしている国や地域はたくさんあります。

 

これは少し大きすぎる話に感じますが、同じようなことは身近にも起こっているように思います。

 

家庭でも仕事でもあるんではないかと思います。学校でもそういった相反したことをして、教育しているように思います。

 

例えば、仕事で何かを教えて、その人に自主的に考えてその後の仕事をやってもらいたいのであれば、その教え方はやフォローは自主的に考えてもらえるような方法になるはずです。

 

ところが現実では、自主性を求めながらその仕事ぶりや結果だけを捉えて、できなかった時や何回言っても理解できなかった時に、怒ったり相手を非難して動いてもらおうとすることはないだろうか?

相反してませんか?

 

自主性を求めるなら、教え方も自主性を大切にするものでなければなりませんね。

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