座禅は悟りを開こうとするためのものではない。本来目的すらないものです。

座禅を数人で行う機会があります。

いろんな人とそういう時間を共有できるのはとてもいい経験だと思います。

 

感覚の違いや捉え方の違いがわかります。あらためて違うとことが大事なんだと思いました。

いろんなセミナーや勉強会もいいんですが、座禅という何も考えない、とは言ってもいろんなことは頭に出てきますけど、時間を共有するのはまた違った良さがありました。

 

なぜ座禅をするのかということですが、悟りを開くためだと思うかもしれませんが、悟りを開こうとする時点で、それは間違った方向に行くということです。

 

どいういうこと?

座禅の修行って悟りを開くためにするものなのでは?

 

となるのですが、これが禅の考え方です。

非常に難解に思ってしまいますが、難解にしているのは自分自身です。

座禅もただ座るだけ。それだけ。何も求めないです。ただその時に自分に起こる事を感じるだけです。そこにいいも悪いもないです。

この落ち着いて集中している状態で1日を過ごすことが、大事なんだと思います。目の前のことに集中できて過ごすということです。

 

今ここ自分

 

座禅をすることが大事なのではなく、座禅をしているような落ち着いた状態で1日を過ごすということではないでしょうか?

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