いい日というのも悪い日というのも本来はない

以前仕事でもお世話になってた方が急に亡くなられた事を思い出しました。

 

その時はそんなに悪かったとは知らなかったので、おどろきましたが、人が最後に行き着く所なので驚くことでもないのかもしれません。

 

いつも笑顔で接してくれたことをよく覚えてます。

 

自分もいつかは辿る道で、生きている方が色々な苦しみがあるわけです。禅においては生活することが修行なんだと。

自分の内面を安定させるために坐禅を組む。ただ座るということをしますが、修行とは坐禅のことではないのです。

普段の自分の内面がどうなのか、その理想を坐禅という作法で疑似体験すると認識しています。どれだけ落ち着いた状態でいても、何かあると心は反応します。その程度は人によって様々です

集中した状態を維持できる人もいればすぐに心を乱してしまう人もいるわけです。

 

そんな毎日を送っている我々ですが、死に直面するとそういったことも小さい取るに足らないものになります。

 

そこまで死を意識するようなことに直面したことがないので、実感としてはわかりません。

 

ただ人の死を意識するようなことがあると否応でも考えてしまいます。

 

普段は色々あって苦しいことや、悲しいこと楽しいこともあるし、怒りが湧いてくることもあるでしょう。それでもその一瞬一瞬が、とても大切で、かけがえのない時間だということを感じながら毎日を過ごしていくことが大事なんだと思います。

 

良い日と悪い日というような二元的な考え方ではなくて、それは同じことなんだということでどちらもかけがえのない一日ということです。

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